1ヶ月間、Web上でレビューを書いてきて見えてきた”レビューそのもの”の問題点

エッセイ
Hans / Pixabay

 前々回の記事を受けて色々な反響を既に得られましたので、またざっくりと書いてみました、タチやん(@mofday)です。先の記事の反響に加えて、ここ1ヶ月で頂いた声を元に炙りでてきた”レビューそのもの”の抱える問題点について書いていこうと思います。

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制作サイドに関わりのない・ジャンル違いのレビューを読む気になれない

 要するにその作品と何らかの関わりがないと読むに値しないという判断を下されるものです。ここはレビューそのものの内容以外に何か面白さを提供できなければクリアできない課題であるということが分かりました。例えば文体のくだけた印象でしたり、アーティストをちょいちょいイジってみたり、レビューでなくインタビューを挟んでみたり等々……そういうエンターテイメント性も必要になってくるのかなといったところです。

予備知識無しに読むのが難しい?

 例えばぼくの場合、レビューを書くにあたって『音楽的な予備知識が無くても形容する言葉を探して書く』というのを基軸にしています。音楽的な知識がない人にとってそういった専門用語を使われると途端に読みづらいものになるのを知っているからです。逆に知識のある人には聴けば分かる説明文にしかならないので、やはりこれは必要なさそうだと思い切り捨てています。
 しかし、現状ではその制作サイドのバックグラウンドなり、音楽ジャンルについてなりも省いているのですが、これがかえって読みづらかったり、率直に言いますと「つまらない」読み物になってしまっているのが現状であります。前述したように他の面白さ・エンターテイメント性があればその点についてはクリアできるのですが……
 その予備知識の無い層に記事を読ませられなければ『宣伝』としての役割は薄まってしまいます。同じジャンルの畑の人くらいには訴求できるかもしれませんが、より広い層へ働きかける力はとても薄くなってしまうのがネックです。そういう問題を解消するために何かしら万人で共有できる知識をどこかに盛り込んだ方がいいなとも感じました。

レビューを制作者に報告するのは”押し付けがましさ”がある

 これはサーチで見かけたツイートなのでツイート直貼りは避けますが、こんな内容のものでした。
”そもそも書いたレビューが該当するクリエイターの目に入るとは限らない…と思うけど本人にレビューしました!ってリプでもしてるのかな
ちょっと押し付けがましく感じる文章だ 思ってないかもしれないけど、俺のレビューをもっと有り難がれよて言ってるように見えてしまった”
 これは前々回の『1ヶ月間、web上で同人音楽のレビューを書いてみて見えてきたこと』の記事を受けての発言でしたが、本人に届かないのが当たり前というのを考慮していかないといけないのかなとも思いました。実際、今までは制作者本人様宛にレビューを書いた旨を伝えておりましたが、それを押し付けがましく思われてしまうのであればそれを辞めざるをえない、すると記事の拡散性も途端に収縮していくという。別に有り難がってくれという話についてはぼくが前の記事でそういう風に捉えられてしまうような文章を書いたのが悪いのですが、これはこれでこちらとしても釈然としないところですね。

結局のところ、そこまで文句言われるなら続ける意味あるの?

 正直な話、こういうところまで思ってきています(同人はやるのもやらないのも自由ですからね)。何をやろうとも文句をつける人間はいるというのはこちらも承知ではありますし、ある程度は覚悟のうえです。曲に批評がつくのならばレビューそのものに批評がつくのもあって当然です。しかし、この流れを見ている限りではネガティブな感情を持っている人間の声(上記のいくつもの建設的な意見を含めて)を汲み取ろうとすると身動きが取れなくなるということが分かりました。どこでバランスを取るために切り捨てなければならないのかを見極めるのも厳しいですがやらなければならないのだと思います。

 というわけで現状で大きな問題として映っているのは

  • 予備知識もなしに読むのがつらい(面白くない)部分
  • ともすれば押し付けがましく思われるレビューの関係者への伝え方

 あたりなのかなと思います。

 あ、今回は特にオチはないです。

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