テキストは半分も読まれない。テキストを読む事について

エッセイ

SNSにおいては最悪タイトルだけ・抜粋文だけしか読まれないまま文脈を歪められ、炎上リスクにも繋がります。こんにちは、夕立P(@Yu_dachiP)です。

ブログをまともに始めてから数年経ちます。またTwitterなどのSNSに身を投じてからもかなりの時間が経ちました。ぼくは割と発信する情報がピーキーだったり強めの口調で言い放つこともあり、そこから炎上リスクが発生したこともありました。
(炎上の実態に興味を持ち、一時期勉強もしたこともあったのですが、それについては別の機会にまた書きます。)

インターネットでテキストを発信し続けてきた経験上、確かにかつての自分のようなテキストは炎上リスクが高めだったのですが、そもそもの問題としてテキストの本旨が歪められて拡散されることで「けしからん」ムードが醸し出されたこともありました。

今回は、インターネット上で物書きをしている人間のひとりとして、またそうしたテキストの受け手のひとりとしても、どういう風にインターネット上の(実際はそれだけに限らないのですが)テキストと向き合うべきかという個人的な考えをお話ししたいと思います。

テキストの読み手のやらかし3つのあるある

読み手としてよくやらかしがちな、そして時に読み手にも書き手にも危険を及ぼす可能性のある3つのやらかしについて、まずは触れていきましょう。

重要な部分を文脈を理解して読んでいない

ニュースにしろコラムにしろ、文章の理解には書き手が発信する文脈の理解が必要です。SNSでのやり取りでも同じ事が言えます。

大切なのは相手の発した言葉の持つ意味を汲み取る事で、一見すると支離滅裂な主張であっても当人の中では整合性を持つ、ではそれはどういう文脈のうえで成り立っているのか?というのをこちらから理解しにいきます。

長々と書いてますが、要するにテキストを介したコミュニケーションをしようって事です。読書でもSNSやWebコラムでも、ある種の対話というものがここでは発生してきます。

(時折、自身の発した言葉の持つ意味も理解しないまま発言を繰り返すような人間もいますが、そういう人からは距離を置く方が安全です。そういう人間の場合は逆に、その場限りのやり取りベースに留めておかないと逆上されます経験上。)

この手法はテキストを読む上で個人的に大切な心構えとして肝に銘じていますが、一方でこれが行き過ぎると次のような危険にぶち当たる可能性もあります。

行間を勝手に想像して読まれる

ここは読み手として「相手の考えを必要以上に汲み取ろうとする」事から起こりやすいかな?と予想しています。もしくは厳しい言い方をしますと「自分の都合の良いように、相手の理想像を作り上げる」事でもあるかなと。

ここで言う自分の都合の良いようにというのは「自分の主張と同じベクトルに持っていって相手と同化する事」だけではありません。むしろ逆に「相手の理想像を悪いベクトルにねじ曲げる事で自分の立場から叩きやすいように解釈する」ケースの方が、インターネット上でのバトルでは多く散見されるように思えます。

どちらにせよ、相手の主張や本旨に含まれない事を勝手に捏造してくるという点においては対話は失敗していると言えますね。

タイトル・見出しや概要とSNSの反応だけで読んだ気になってしまう

タイトルや概要はインターネットの検索エンジンでも重要視されている部分で、いわゆるSEOと呼ばれるものがあります。それだけこのふたつは「目につきやすい」「テキストの大まかなまとめとしての機能」が大きく、Webニュースでもここを見ただけで凡その内容を掴んだ気になってしまいます(実際、それができるケースも多いです)。

またSNSでの反応も影響は大きいです。わざわざ自分が見に行かなくても既に見た(もしくは上記のように”見た気になっている”)人たちの反応を読んだだけで、同じように自分もテキストを読んだ気になるケースがあります。

自分で物事を見聞きするリソースが足りない現代では、こういうやり方をすることで量も速度も圧倒的になった情報をさばいていく、というのがあります。これが招く事態って要するに「ファクトチェックを自分の判断で行えなくなる」事なんですけどね……

自らの身をもってテキストと向き合う

長々と書きましたが、どのやらかしについてもハッキリと言えることがひとつだけあります「自らの身をもってテキストと向き合う」という意識です。

上の方でも全く同じ事を書きましたが、要するにテキストを介したコミュニケーションをしようって事です。

インターネット上のコラムでも紙の本でもSNSでのやり取りも、本質的には発信者・書き手との対話であり、さらに言えばその対話を介した”自分との対話”というのも発生します。他者と向き合う事は、そのまま自分自身と向き合う事でもあります。

逆に言えば、自分と向き合う事ができない人には他者との対話も難しく、テキストを読む事も実は敷居が高い可能性すらある……かもしれません。なんだかそこらの自己啓発本みたいな胡散臭い記事になってきたな?

むすび

最後ちょっと茶化してしまいましたが、テキストを読む事についてのお話しはこんな感じです。テキストを読む事の本質は”テキストを介した対話だ”という話でしたが、この感覚がちょっと分からないという方も少なからずいらっしゃるかと思います。

ちょっと分かりづらい記事な事はごめんなさいなのですが…… そういう方は手始めに、まずこの記事でぼくが言わんとする事を掴もうとする事で、少しでもテキストを通じた対話という概念に対しての理解を深めて欲しいです。

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